オーストラリアはどんな国だったか

 多くの日本人にとってのオーストラリアは、コアラの国、エアーズ・ロックの国、ゴールド・コーストの国といったところでしょうか。大きな大陸に少ない人口、何事もシルパー・コロンビア計画の候補地になるほどのんびりした国といったイメージが強いのではないでしょうか。オーストラリアに悪い印象を抱いて帰ったという日本人の話もあまり耳にしません。そして一面ではそれが事実です。

 しかし反面知れば知るほど根強い人種差別、営利優先の環境破壊、口にするほど尊重されてはいない人権、高福祉の割には多いストリート・チルドレンなどなど、問題だらけの国でした。質的な違いがあるだけで、問題が多いのは日本の社会もオーストラリアの社会もあまり変わりありません。むしろ人間が多様であるだけに、問題もより多様であるように見えます。

 ただ一つだけオーストラリアが明らかに日本に優る点は、問題を問題だとはっきり口に出して指摘できることです(解決につながるかどうかはもちろん別)。日本の天皇制のようなタブーはありません。強いて言えばヨーロッパ社会の反映か、ユダヤ人の悪口を言うのはタブーに近いですが、これは言う方が明らかに差別主義者です。

 多民族国家のオーストラリアですが、政治経済やメディアはまだアングロ・ケルト系が握っているので、筆者の抱いている感想もかなり彼らに偏っている可能性もあります。彼らの多くは明らかに欧米先進国に対し、また経済発展の著しいアジアに対しコンプレックスを抱いています。またアイデンティティの危機にあるのもアングロ・ケルト系が多いようです。他の民族はそれぞれの民族意識を持っており、国のそれとは明らかに区別しています。