オーストラリアの国旗と国歌

この記事はまだ日本に社会党があったころのものです。

オーストラリア国旗の意味

 オーストラリア国旗は左上にイギリスの国旗であるユニオンジャックを配し、右側には南半球にあることを示す南十字星、そして、ユニオンジャックの下には6つの州と1つの準州を示す七角星が描かれています。

オーストラリア国旗を巡る議論

 先日日本社会党が自衛隊と国旗や国歌を認めたと言う報道がこちらでもありました。こうなると自民党と社会党の違いは一体なんだろう?という疑問もありますが、それはさておき話題は国旗と国歌です。オーストラリアでも何度か書いているように国旗、国歌に関する議論があり、比べてみるのも面白いと思います。

 オーストラリアでも国旗を学校などで強制するのは問題があるという議論があり、アメリカでは国旗を焼くのも表現の自由だと言う裁判所の判例もあります。でも今ここで議論を呼んでいるのは現在使われている国旗や国歌が、オーストラリアにとってふさわしい物であるかどうかです。現在の国旗はイギリスのシンボルであるユニオンジャックが含まれていて、植民地時代と区別がつかず、独立民主国家にはふさわしくない、というのが国旗を換えることを主張している人達の論旨です。

 大部分の日本人は国旗や国歌は永遠の物だと信じている節がありますが、最近の政変に伴い南アアリカが国旗と国歌を換えたのでもわかるように、世界では時の流れに合わせて国旗や国歌を換えるのがむしろ普通のようです。

 日本のケースはどうも国旗・国歌が必用かと言う議論と、日の丸・君が代をどうするかと言う議論が混同されているようです。当面現在の国を単位とする国際関係が変わらない以上(私自身はこの仕組みを変える私案を持っています)、各国が国旗や国歌を持ち、それを掲げたり歌ったりする事はおかしくありません。

 日本の問題は国旗や国歌が民主国家日本にとってふさわしい物であるか、国旗や国歌を選ぶプロセスが民主的で、民意を反映した物であるかどうかを問うていないことです。オーストラリアを初めとする民主国家では国旗・国歌は国民が選ぶものであるのに対し、日本では政府(と言いつつ実際は誰に責任があるのかわからない)が決めるものというイメージが強いようです。

 オーストラリアで現在の国旗・国歌に反対するグループは、どういったデザイン・メロディーが良いかという議論を行なっているのに対し、日本で日の丸・君が代に反対するグループはいきなりアナキーに国旗・国歌を否定してしまい、代案を示したりして国旗・国歌を決めるプロセス自体を民主化しようとする動きは余り無いようです。社会党の動きもこの範疇を超えておらず、民主国家としての日本はまだまだ未熟であることを象徴しているように思えます。

 例によって私自身の国旗・国歌観を付け加えるなら、君が代は歌詞が非民主的で無条件に反対です。「君」は you の意味だと言うのは詭弁で、政府が発行している英語のパンフレットでは「君」ははっきり Emperor と訳されています。メロディー自体も現代音楽になれた耳にはあまりいいものと思いませんが、これ自体は日本の伝統音楽に基づく物であり、あながち否定はできません。

 日の丸には条件付き反対です。デザインとして見た日の丸は余りにシンプルで良い悪いの判断は難しいと思います。この意味で代案を示すのは非常に困難です。ただ日の丸が戦前戦中にどんな役割を果たしたか、戦後もむしろ国民を代表するものと言うより、国家を代表するものとして使われて来た事実を考えるならば、無条件で日の丸を使い続ける事はできません。多くの人にとって日の丸は無理矢理背負わされた十字架であり、抑圧・侵略の象徴でした。日本国民がこの事実を認識し、その記憶を留めるために日の丸をあえて使うと言うのであればそれはそれで意義深いことだと思います。しかしもし国旗に違う機能(往々にして nationalizm の象徴)を求めるとすれば、日の丸は変えるべきだというのが私の意見です。