オーストラリア留学は役立ったか?

 オーストラリア留学は役に立ったのか?

 読者の中には留学経験者、現在留学中の人もいますが、また近い将来留学を目指している人もいます。参考になるかどうかはわかりませんが、筆者なりの感想を少し書きたいと思います。

 ずばり言って留学はとても役に立ちました。国費で留学した筆者に国は多分何等かの「技術」を身につけて帰ってくる事を期待していると思います。が、その意味ではノーです。半乾燥地の造林技術というのが当初考えていたテーマでした(筆者が入っていたのは森林科学コースでした)が、オーストラリアでもそんなものは存在しませんでした。

 筆者が以前いたケニアの半乾操地に似た地域は広く分布しています。しかし行われているのは林業ではなく、主に牧畜です。この意味では牛や山羊を飼っているケニアの農家と大差ありません。そしてまた厳しい乾燥地でどうやって商業的に経営しているのかと思っていましたが、これもケニアの農家同様、干ばつがあれば農家は牛を失い、政府の保護に頼っているのが現状でした。

 つまり先進国だと威張っているオーストラリアでも、こと半乾燥地での農林業はケニアと状況は変わりません。ただ選択肢を持たないケニアの農家と違い、ここでは銀行から資金を借りたり、保険に入ったり、信じられないくらい大きな土地を保有したりと、他の条件が著しく違うだけです。

 話が少々それました。オーストラリアに留学して何が役に立ったか、です。一番は何と言っても「世界」と「自分」がわかって来た事です。日本の中、あるいは日本の援助機関の中にいると、自分が今どこにいるか、世界の中でどのような仕事をしているのかを見極めるのは非常に困難です。見方がわかっていなかった、物差しを持っていなかったと言い換えてもいいでしょう。

 長いものではホンジュラス、ネパール、ケニアと仕事をして来ましたが、その時々の方向性を自分なりに決めて来たのは、どちらかと言えばフィーリングであり、山勘でした。筆者は2度青年海外協力隊に応募しましたが、二度目の隊員としてネパールへ行ったのは、一回目のホンジュラスでの体験で(主にホンジュラス政府のやり方に)おかしいと感じていた事があったからです。そしてまたネパールでも配属されたFAO(国連食糧農業機関)のプロジェクトに不十分さを感じていました。

 その後赴任したケニアのプロジェクトに関しても疑問点を時々感じましたが、それらもやはり理論でなく、漠然と感じていた事でした。今思えば筆者の方向性は、大きく外れてはいなかったと思いますが、感覚に頼っていた事に違いはありません。

 日本で研究生活をした経験も無く、また触れられる海外の資料も限られている中で、自分の考えをまとめるのは困難でした。ある勉強会に呼ばれて林業国際協力の話をした事があります。その時筆者は「林業だけじやあ駄目です」という話をしましたが、具体的にどう駄目なのか、では何が必用なのかと問われれば(その場では問われなかったけど)、漠然とした答しかできなかっただろうと思います。それは筆者なりの経験に基づくものではありましたが、逆に言えば筆者だけの経験の話にすぎませんでした。

 ここに来て研究テーマを決め、文献あさりを始めてみると、あるはあるは。結局筆者の感じていた多くの事は、あたりまえの事ながら世界では多くの人が既に経験済みな訳で、多くの人は研究論文や事例を残してくれています。

 「なるほどこれにはこういう背景があった訳だ」、「ふーん、これを表現するにはこういう経済用語が応用されているわけか」というように、自分の「感覚」だけとして持っていた経験が、頭の中で整理され、体系化されてくる体験は、なかなか心地好いものでした。日本で大学を出る時に、研究室の教授に大学院を受ける事を勧められましたが、あの時行かなくてよかったと思っています。順序を逆にしていたら、きっといずれまたやり直す羽目になっていただろうと思います。

 もう一つの大きな収穫は、勉強のしかたがわかって来た事です。勉強のしかたと言っても、日本の学校の期末テストや入学試験用のあれではなく(あれもよくわからないままどうにか来てしまったけど)、本当に必用な情報にどうアクセスし、それをどう処理し、どうまとめて行くかがわかって来た事です。

 ケニアにいた時に、筆者らの顧問役を務めていた大学の先生から「少し勉強してもらわないと困る」とお小言を頂きました。あの頃は、正直言ってどう勉強したらいいのかがわかりませんでした。大学院でよほどいい先生に付くか、あるいはいい研究機関に所属するかしない限り、日本では本当の意味での勉強、あるいは研究のしかたを身につけるのは相当困難だと思います。こちらでは学部生レベルでそう言った基本的な事は身に着けられるようになっています。