捕鯨

 最近のIWCで南極周辺では捕鯨を全面禁止にする案が可決されたそうです。日本の裏工作にもかかわらず反対票は日本だけだったそうで(ノルウェー等は棄権)、残念ながらまたまた日本は評判を下げたようです。(この記事は1995年くらいに書いたものです)

 オーストラリアの世論はもちろん捕鯨に反対ですが、少々気になるのはやはり文化的背景を無視した論議が多い事です。捕鯨は日本の伝統文化だ、と言うのにも多分の嘘があると思いますが、それは後で議論します。

 ここで気になるのは鯨を水族館のイルカ等と同じ感覚で捉えている事、鯨の知能の高さを問題にしている事、それと動物を殺す事をではなく、殺し方を問題にしている事です。何を食べ何を食べないかはその民族の問題であり、欧米人が犬を食べるのは野蛮だとか言うのは余計なお世話です。どの動物が賢いかどうか等というのは、それぞれの動物の生活環境の中で決まる相対的な物であり、人間が自分の基準で判断するのは思い上がりです。また年に無数の牛や羊を殺しておきながら、はるかに少ない数の捕鯨を残酷だと言うのはどうも客観性を欠くように思えます。

 では日本の立場で捕鯨は伝統文化だと言う主張は正しいでしょうか?私はこちらにも議論のすり替えがあると思います。確かに鯨は古くから日本で食べられていました。和歌山などには捕鯨で有名な漁村もあります。しかしこれは原始的な沿岸捕鯨の話です。また冷凍設備や輸送手段の無かった昔に、全国の人が鯨の尾の刺身に舌鼓を打ったなどという事はあり得ません。現在の漁業会社による捕鯨はかつての伝統的捕鯨とは似てもに似つかぬ物であり、また鯨食文化も限られた範囲の物だったと思われます。

 オーストラリアに近い南氷洋まで大型の捕鯨船が出かけてきて鯨を獲っているのを、果たして「伝統文化」と呼べるでしょうか?

 では私個人は捕鯨に賛成か反対か?はっきり言って反対です。理由は私個人は鯨を食べる文化的背景を持っていない事(給食ではさんざんお世話になったけど)、それならば捕鯨を維持するために必用な社会的コストを税金(あまり払ってないけど)やイメージの悪化、あるいは他国からの報復措置(他の漁業からの締め出し等)として支払う必然性が全くないからです。鯨の刺身は旨いと思いますが、どうしても無くてはならない物でもありません。

 仮に日本が主張するように捕鯨が科学的に持続可能であるとしても、世界の趨勢から言って捕鯨の継続には先が見えているのは明らかに思えます。捕鯨全面禁止後をにらんだ対策を何も取らず、ただ反対だけして悪役になっているのは、米の輸入問題などと共通した行政のお粗末さだと思います。